図書館情報メディア研究科パンフレット2016(日本語)
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学位論文(2014年度修了)10学位論文(2014年度修了) 続いて、金子と俳句の関わり深さと、昭和7年(1932)、秋田魁新報紙上で繰り広げた俳句論争を取り上げ、その影響を考察した。 さらに、金子が浅草オペラ、新国劇、新派、歌舞伎といった日本の近代演劇活動の現場で活躍し続けていたこと、演出家としては、小山内薫、土方与志、岸田国士、村山知義とも比せられる独自な位置にあったこと、昭和4年(1929)以降の活動は戯曲家というよりは演出家、舞台監督の仕事に移行していたことを数値的に明らかにした。 金子は、秋田を作品に反映させて表現する郷土作家であるとともに、秋田在住の同人作家、杉田瑞子の作品を芥川賞選考委員であった石川達三らに紹介するなど、「地方」と「中央」を結ぶ活動もしていた。 以上のように各分野の検証を行うことによって、秋田を故郷とする文化人としての活動も注目すべきであることを、本研究では明らかにした。(研究指導担当教員 綿抜豊昭)金子洋文の研究 ーその文化活動からー天雲 成津子 秋田県南秋田郡土崎港町(現在は秋田市)に生まれた金子洋文は、大正10年(1921)、小学校の同級生だった小牧近江と共に雑誌『種蒔く人』を創刊した。『種蒔く人』は、日本のプロレタリア文化運動の魁となった雑誌である。また金子は関東大震災時の権力側による虐殺を伝えた「種蒔き雑記―亀戸の殉難者を哀悼するために」も著している。『種蒔く人』の後継誌『文芸戦線』の編集人でもあった金子洋文は、プロレタリア文化運動を研究する上で注目すべき人物のひとりである。 本研究は、金子洋文が生涯にわたって保管してきた文献資料をはじめ数多くの資料調査から彼の生涯を俯瞰し、その文化活動を、農民文学、プロレタリア同人誌、俳句、演劇といった分野に分け、それぞれの検証を行ったものである。 まず、金子が青年期までをすごした土崎港町の地理的、文化的環境をとりあげた。たとえば土崎小学校の卒業生の中には、第一次世界大戦を欧州で体験し、反戦平和運動思想クラルテを広めようと『種蒔く人』を創刊した小牧近江をはじめ、海外、情報に関わる分野で活躍した者が多いことなどを述べた。 また、金子の書簡から、雑誌『白樺』の武者小路実篤に積極的に接近する経過を明らかにし、白樺派の人道思想とプロレタリア文化運動思想に共有される流れを明らかにした。金子は『種蒔く人』で農民や農村の生活を最も多く描いていたことを明らかにし、農民文学の著者としても注目すべきであることを指摘した。 雑誌『文芸戦線』では金子と秋田に関わる記事が一定の割合で存在し続けており、雑誌後期にいたっては金子や秋田関係の記事に大きく支えられていたことなど、プロレタリア文学雑誌での彼の活動を数値的に明らかにした。博士(学術)秋田市立土崎図書館正面に設置されている「種蒔く人顕彰碑」

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