第二部会(26日)

日本図書館協会の組織−その現状認識と改革論−

春田和男(筑波大学大学院図書館情報メディア研究科博士後期課程)

(1)研究目的

筆者は,前回の学会発表において,日本図書館協会の現状と問題点を明らかにする ため,協会に関するデータや公益法人に関する研究成果を基に,法制度,組織,事業 について検討した。その結果,協会にはすべての館種を包摂する事業を行うことが求 められているが,協会の会員は公共図書館中心であり,それが役員の構成に反映して いること,会員に対する教育訓練機能も公共図書館中心になっていることを明らかに した。

前回の発表は,協会に関するデータや公益法人に関する研究成果を基にした,協会 の組織論及び事業論であった。今回の発表では,前回の研究成果を基に,組織論に絞 り,図書館関係者が日本図書館協会の組織のあり方についてどのような認識を持ち, また協会組織の本質的な問題点についてどのような改革提言がなされたのかを明らか にする。この点については,協会に関する最近の先行研究である「21世紀初頭におけ る日本図書館協会のあり方検討会」の報告書でも検討されていない。

(2)研究方法

日本図書館協会の機関誌である『図書館雑誌』を中心に,戦後の協会組織のあり方 に関する文献や総会・役員会の議事録を資料として,協会組織の現状認識と協会組織 改革論に分けて文献レビューを行った。まず,協会組織の現状認識では,前回の発表 で明らかにした公共図書館中心論と,協会組織批判論の2つに分けて論じた。次に, 協会組織改革論には,主な論議として,施設会員の位置づけ,会員の増加,専門職員 団体の新規形成,司書部会の設置の4つがあることがわかった。本研究では,それぞ れについての文献レビューを基に考察を行なった。

(3)得られた(予想される)成果

研究の結果,次の3つのことが明らかになった。

第一に,公共図書館中心論は,戦後当初から問題提起がなされ,公共図書館が発展 し始める1970年代に専門図書館員を中心に盛んに議論された。しかし,1980年代以降 になると,協会の課題は行財政改革への対応,会館建設,教育訓練機能の強化等に焦 点が移り,公共図書館中心論はほとんど議論されていない。

第二に,協会組織のあり方をめぐる議論では,自らの観点からの協会への期待や要 望がその大半を占め,協会組織の現状認識と改革に関する議論は一部に留まってい る。

第三に,協会の組織改革として,施設会員への権限付与,会員の増加,専門職員団 体の新規形成,司書部会の設置の4つが提言されたが,一般的な議論に留まっている ものが多く,改革を具体的に実行するための方策やリーダーシップに関する議論が不 足していた。これらのうち実現したのは,施設会員への権限付与であり,1980年の定 款改正の結果,協会は個人会員と施設会員の提携組織になった。

以上のことから,協会組織の現状認識と改革に関する議論は,少数でかつ一般的な 議論に留まり,改革推進のための具体策やリーダーシップに関する議論が不足してい た。そのため,提言がなされても,具体的に実行に移された組織改革が少ないことが わかった。

韓国における公共図書館サービスに関する研究動向−1960年代から1990年代まで−

金惠京(図書館情報大学情報メディア研究科)

1.研究目的

韓国の公共図書館は,長年,入館に際して入館料を取り,受験勉強のための勉強部屋として中高校生によって利用されてきた。他方,児童サービス,貸出サービスなどの図書館サービスは不活発である。入館料と学生中心の利用は韓国の公共図書館の発展を妨げた要因として批判されてきた。入館料は1991年に廃止されたが,学生への座席提供は未だに解決されていない。このような学生中心の利用実態によって,地域住民の公共図書館に対する認識が固定されてしまい,地域住民から多くの支持を受けることができなかった。

この研究では,入館料,閲覧室の運営,児童サービス,貸出サービス,館外サービスなど韓国の公共図書館における利用者サービスについて,これらに関する研究がどのように行われてきたか,戦後の1960年代以後1990年代までの研究動向を探ることにより,各利用者サービスに対する認識の変遷,その図書館への影響,図書館での対応を明らかにする。

2.研究方法

対象とする文献は,1960年代から1990年代までの韓国の公共図書館サービスに関する雑誌論文を中心とする。主に@入館料,A閲覧室の運営,B児童サービス,C貸出サービス,D移動図書館及び分館,E文化プログラム,に関する記述を取り上げる。これらの文献を探索し,その内容を分析し,時代ごとに比較するとともに,問題点が十分把握されているか,改革のための具体的な提案がなされているかについて検討する。

3.予想される結果

上記の研究については,次のような特徴が見られる。

@入館料については,徐々に批判が高まってきたが,理論的な研究は十分行われていない。

A一般閲覧室が資料閲覧室よりもはるかに長時間開室されていることに対する批判はあるが,具体的な方策は論じられていない。

B児童サービスでは,資料の貸出よりも文化プログラムに重点が置かれているが,それに対する批判的な意見は少ない。

C貸出サービスでは,貸出を伸ばす必要があることは論じられているが,そのための具体的な方法はあまり論じられていない。

D移動図書館と分館は,全域サービスの観点から重視されているが,財政上の理由から実現困難で,議論も活発でなくなっている。

E文化プログラムは資料利用と関係のないプログラムが多いが,その点についてはあまり論じられていない。

これらの研究動向の把握によって,公共図書館サービスに対する韓国の公共図書館界の認識の変遷を明らかにすることができる。また,各サービスの問題点に対する年代ごとの認識や解決方法の提案,改革のための取り組みが明らかになり,韓国の公共図書館サービスの問題点とその歴史的な経過を明らかにすることができる。

学校区における図書館メディアプログラム・コーディネーターの役割と意義:米国ワシントン州の学校区を中心に

平久江祐司(筑波大学図書館情報学系)

(1)研究目的

2003年4月より12学級以上の規模の小・中・高等学校に司書教諭が発令・配置され,司書教諭には学校図書館の教育活動への計画的な活用とその成果が求められている。しかし,現状においてはクラス担任との兼任や5科目10単位の養成科目など不十分な点が見られ司書教諭が専門的役割を果たしえる環境は十分に整っていない。こうした問題点を解決するための方法は,(1)司書教諭の専任化,(2)司書教諭教育の高度化,(3)学校図書館支援システムの構築という3つのアプローチに整理することができるであろう。そこでは,制度的には教育関連法規の改正,現場レベルにおいては司書教諭の資質の向上,担当授業時間数の軽減,職場研修の実施,公共図書館との連携などが主に論じられてきた。しかし,これらの議論には司書教諭に対して指導・相談・助言する役割を担う専門的職員の配置の重要性についての指摘は見られない。こうした専門的職員の配置は学校において職務上孤立しがちな司書教諭の図書館活動に対する意識や専門的技能の向上に意義あるものであると考える。こうした専門的職員の配置の先行事例として米国で1960年代以降に全州的に配置された学校区レベルの図書館メディアプログラム・コーディネーターの配置があげられる。一方,日本ではそれに相当する役割を担っているのが教育委員会の指導主事であると考えられるが,それが十分に機能しているとは言い難い状況にある。

そこで,本研究においては,米国の学校区における図書館メディアプログラム・コーディネーターの役割と意義について考察を行い,それに基づき日本の司書教諭に対して指導・相談・助言等を行う専門的職員の配置の必要性並びにその可能性について検討したい。

(2)研究方法

まず,米国の学校区における図書館メディアプログラム・コーディネーターの歴史的背景と役割について米国の関連文献から明らかする。次にワシントン州の学校区を事例として取り上げ関連文献及び2002-2003年に行った訪問調査とメールによるアンケート調査の結果からその特徴を明らかにする。そして,これらの点から米国の学校区における図書館メディアプログラム・コーディネーターの役割と意義を明らかにする。最後に,日本の県レベルの教育委員会や教育センター等の職員を具体的な事例として取り上げ考察し,司書教諭に対して指導・相談・助言等を行う専門的職員の配置の必要性並びにその可能性について検討する。

(3)得られた(予想される)成果

本研究のテーマである司書教諭に対して指導・相談・助言等を行う専門的職員の配置に関する議論は,実務経験を通しての専門的技能の育成の重要性を指摘するものである。これは司書教諭の養成課程の内容の高度化や制度の改善等による専門的技能の育成,すなわち司書教諭の専門職化の議論に新しい視点を提起するものであると考える。また,これは日本の学校図書館及び司書教諭の支援システムにおいて垂直的構造(階層的構造)の構築の必要性を指摘するという点で意義あるものと考える。

NII総合目録データベースにおける著者名典拠ファイルの形成過程

兎内勇津流(北海道大学スラブ研究センター)

(1)研究目的

オンラインで参加機関と接続し、その目録作業をアシストすると同時に総合 目録を形成して資源共有につなげるという書誌ユーディリティーの活動は、 参加機関による書誌レコード、典拠レコード、所蔵レコードの作成・登録と いう作業によって支えられている。

わたしは、2001年秋の本学会の研究大会において、このうちの著者名典拠レ コードについて、近年作成の新規件数の低下が認められること、典拠とのリ ンク形成を行う率が低下していることが予想されることを述べた。

本研究は、この予想の妥当性を検証するとともに、これまでの典拠レコード 形成のヒストリーを探り、NII総合目録システムがどのような形で発展してき たのか、将来にはどのようなことが予想されるのか、その一端を垣間見よう とする試みである。

(2)研究方法

作成年代および資料言語別にサンプル書誌レコードを抽出し、そのレコード 中に含まれるALフィールドが著者名典拠レコードとリンクされている率がど のように変遷しているかを示す。

また、NIIに登録されている著者名典拠レコードについて、作成順に、その歩 留まり、一定件数のレコードが新規に作成されるに要した日数を追跡する。 最後に、作成年代ごとのサンプルレコードの種類(日本名、西洋名等, あるい は個人名、団体名、会議名)により、どのような参加機関によりどのようにし て典拠レコードがかつて蓄積されてきたのか、現在はどのように蓄積が行わ れているか、その変遷を明らかにする。

(3)得られた(予想される)成果

NII総合目録レコードにおいて、ALフィールドが著者名典拠レコードとリンク される率は、少なくともここ10年低下の傾向にある。これは和資料、洋資料 を問わないが、特に英語以外の洋資料について顕著であり、リンク率は半分 を割っている。

総合目録データベース形成の最初期約1年に作成された典拠レコードは、歩 留まりが低く、当時の参加機関の苦闘がしのばれる。作成ペースが最高だっ たのはその直後の1987年であり、その後、典拠リンクが義務でなくなるとと もに、作成ペースは緩やかに低下し続けて現在に至る。

こうした現象の背後に、作成に携わる館が大きく変遷していることがある。 ここから示唆されることは、参加機関が目録作成についてポリシーを持ち、 それを実現するような組織的活動をしているというよりは、有志による無償 ボランティア的な支えられ方をしているということである。この状況が変わ らなければ、参加機関の増加にもかかわらず、典拠レコード作成は低水準に とどまると予想され、ひいては将来的な書誌レコードの品質の低下が危惧さ れる。

1940年代の米国の学校図書館: 職員制度に関する議論に注目して

中村百合子(東洋大学非常勤講師)

1940年代における米国の学校図書館について,全米の当時の状況を概観し,さらに当 時の米国の学校図書館学研究の状況を明らかにする。これは,占領期に米人ライブラ リアンによって日本に伝えられた学校図書館像を明らかにする取り組みの一環であ る。

当時の米国で発表された学校図書館に関する資料を網羅的に収集,分析することに よって,1940年代半ば頃の米国における学校図書館に関する議論および研究の到達点 を知ることを試みる。当時の米国での学校図書館に関する統計やさまざまな議論は, 図書館界と教育界の双方に見つけられる。それらをできるだけ網羅的に集め,分析す る。また,ALAアーカイブスで収集した史料を用いて,図書館専門職団体内部におけ る議論にも目を配り,米国の学校図書館界がどこへ行こうとしていたのか,何を求め て進んでいたのかを知ることも試みる。

本研究では,特に職員制度および職員養成に関する議論に注目する。1940年代の米国 は,学校図書館職員制度について,teacher librarianと呼ばれるパートタイムの職 員(教員との兼任)から,学校図書館専門職で専任のschool librarian を採用するようになる,その移行期にあったように思われる。そして,その時期に日 本は米軍によって占領され,日本の教育界で学校図書館が至った。結局,日本では, 1940年代半ばの米国のteacher librarianを参考にするなどして,学校図書館職員に ついて「司書教諭」という名称の職が生まれ,それは1953年に成立した学校図書館法 で法的根拠を持つことになった。そのように日本に米国の学校図書館職員制度が伝え られた1940年代の米国の状況を知ることで,日本の司書教諭制度の出発点の構造を解 明する手がかりとしたい。米人ライブラリアンは自国の状況をふまえて何を伝えよう として,日本側関係者は,それをどう理解し,日本にいかに導入しようと考えたのだ ろうか。本研究を,そうした関係性を知ることへ繋げたい。

これまでの占領期図書館研究は,占領下の日本で起きたことを明らかにする試みがほ とんどであった。本研究では,占領軍の図書館政策,米人図書館員の発言や行動の背 景となっていた当時の米国の図書館を知る試みであり,米国から伝えられた学校図書 館像を知る手がかりとなるものである。米国の伝えた学校図書館を日本側がどう受容 し,また変形させていったのかを知るという今後の研究の出発点として位置づけてい る。

Government speechとしての図書館に関する一考察

古賀崇(東京大学大学院教育学研究科)

(1)

本発表は,アメリカ憲法学理論においてその重要性を増しているGovernment speech論を通じて,「価値を伝達する主体としての図書館(主に公立・学校 図書館を想定する)」がはらむ問題点の同定を試みる。

(2)

アメリカにおいてgovernment speechを扱った判例,およびアメリカ・日本 におけるgovernment speechに関する学説を取り上げ,検討する。

(3)

Government speech論とは,政府が特定の価値・観点のもとで「思想・言論の 自由市場」に参入することがどのような形で許される(許されない)かをめぐ る議論である。Government speechということばには,政府が「検閲主体」と なることのみならず,私人の表現への助成を行うこと,また政府自ら広報・教 育などの形で表現を行うことまでもが射程に入っている。つまり,government speechという課題設定は,憲法学の中心的な考察対象である政府と個人との 関係について,より精緻な考察を可能にするものだと考えられる。

蟻川恒正(2003)によるgovernment speechの類型化に従えば,government sp eechは(T)政府が私人の言論を規制・助成する場合と,(U)政府自ら表現を行 う場合に大きく分けられる。これらはさらに,「専門職」の介在の有無をめぐ って,次の通りに細分化される。

(T−1)政府が私人の表現活動を規制する場合
(T−2)政府が専門職を介さずに私人の表現活動を助成する場合
(T−3)政府が専門職を介して私人の表現活動を助成する場合
(U−1)政府が専門職を「道具」として表現を行う場合
(U−2)政府自ら表現を行い,または私人を「道具」として表現を行う場合

これらのうち,(T−1)では政府が特定の価値の下で規制を行うことが厳し く戒められるが,そこから下に進むにつれ,専門職ないし政府が特定の価値に 基づいて行動することがより許容される。特に,専門職が介在する場合には彼 (女)らの「職責」が果たされている否かが焦点となる。なお,(T−2)をめ ぐっては「私人の多様な表現活動を活発化させる目的での政府助成については, 特定の価値に基づく表現統制は極力避けられるべきである」と論じられている が,これは私人の表現に対する「場」の提供を含めた政府助成のあり方に着目 した点で,従来のパブリック・フォーラム論の延長線上にあると考えられる。

この5類型を図書館に当てはめてみると,アメリカの判例上ではとりわけ公立 図書館のパブリック・フォーラム性が認められているが,それが適用されてい るのはもっぱら図書館への入館とその利用,図書館集会室の利用,図書館での インターネットの利用といった局面であり,上記(T−2)の場合と重なる。そ の一方で,図書館資料の選択・除去やレファレンスサービスの提供など,専門 職としての図書館員の職責が求められる場面においては,彼(女)らの価値判 断が行使されることが許容されうる。ただし,その価値判断は政府の意図を切 り離すべきか(T―3),あるいは政府の価値判断が反映されるべき局面なの か(U−1,とりわけ「教育的」価値判断がかかわる場合)が論点となるだろ う。さらに,図書館において政府自らの表現(政府刊行物など)を流通させる ことが望ましいと論じられている場合に図書館員の職責・価値判断がどれほど 反映されるべきか,という点も考慮に入れる必要があろう。


JSLIS2003 第51回日本図書館情報学会研究大会