図書館情報大学附属図書館報、略して館報は3月、6月、9月、12月の月末刊行で、学内で配布される他、大学図書館 320, 公立図書館 276, 博物館 66, 国立機関 49, 学園地区研究機関 37 など、国内の約 800 機関と、約 200 の海外図書館に送付されている。聞くところによれば、なかなか好評とのこと。館報編集委員(教官)のいちばんの仕事は館報の執筆者を探すことにある。私の担当した2年間は自発的な投稿にお目にかかったことはなく、「最近は書いていただいてませんね」という脅しにも似た口上で、気のやさしい犠牲者を口説いていた。その罪滅ぼしに、「そろそろやめよう」と言うわけである。
さて、3ヶ月に1回の刊行、原稿締め切りは刊行1ヶ月前となると、インターネットばやりの今となってはニュースとして失格である。8ページでは OPAC のマニュアルを載せるわけにもいかないから、図書館の使い方をきちんと知らせることもできない。3月号は卒業式と入学式で配られるが、卒業生と新入生に同じ記事を配ることにどんな意味があるのだろう?6月末と年末は休みの直前で、ただでさえ速報性に欠けるものを更に寝かせている。学外向けとは言っても、記事の内容はどうみても学内(それも学生)向けである。犠牲者になって頂いた執筆者には申し訳ないが、館報だけにしか載らない専門的な話があるはずもなく、どこかにより詳細な記述(口述?)があるはずである。そうすると残るはエッセイだが(この記事もエッセイなんだよね)、わざわざ図書館がエッセイを印刷して配ることもなかろう。だれが見学に来たとか、職員がどこへいったとかを知らせてどうなるわけでもあるまい。というわけで、私には館報の積極的な存続理由が見出せない。
さて、話はかわって、世の中「サービス競争」の時代であり、利用者はよりよいサービスを求めている。図書館の場合なら、図書館の増設とか、 24 時間開館とか、インターネットでの予約・宅配とか、まあ言い出したらきりがない。交代で休んで休館日をなくすとか、実現可能な代替案がある場合を除けば、新規サービスにはそれなりのコストがかかる。応分の負担なしに新しいサービスを導入しても、うまくいかないのは目に見えている。予算が一定なら別の部分を削って新しいサービスにまわすことになるが、それでうまくいくのなら、これまでは無駄遣いをしてきたことになるのだろう。ボランティアの活用も、本来なら有償の労働をだれかに提供してもらっているにすぎない。専門性が必要とされないなら、就職先がなくなって(極端な場合は存在理由さえ)困る単科大学がでてくるかもしれない。
要は「いらないものはいらない」ということに尽きるだろう。いくら「ほしい」と言っても、恵んでもらえることは殆どなく、多くの場合、何がしかの形でコストを負担することになる。質の低いサービスがいくらあっても利用者は満足しない。アンケートを取れば、無料で送って来る「館報」を役に立たないとは言わないが、だからといってそれが本当に役立っていることの証にはならない。開学 20 周年は浮かれるだけでなく、どんな存在理由があって、本当に役立っているのか、費用に見合うだけの効果があるかを見直す時期ではないだろうか。この記事に反論が殺到するくらいならまだしも、ひとつも反論が来ないようなら、どんなに残念でも、時代は終わったと廃刊すべきである。惰性で労力を費やしてもよい結果は得られないので、労力はより生産的な新しいことに向けられるべきである。もちろん、常により充実した広報活動が期待されていることは言うまでもない。
長谷川秀彦(元・館報編集委員)